教育とEducateの違いについて

おはようございます。
川越・ふじみ野エリアで活動する公認会計士・税理士の榎本です。
先日、ふと、日本語の「教育」と英語の「Ecucate」ってなんか感覚的に違うなーと思い、それぞれの語源について調べてみると面白いことが分かったので、アウトプットして整理しています。

「教育」は上から下へ

日本での教育というと、基本的には教え諭す、すなわち上の方(基本的には先生)から下の子(子供)へ知識を伝えるということが一般的なスタイルかと思います。

 

自分自身、小学校から受けてきた学校の授業風景不を振り返ってみると、基本的には先生が教科書を中心にして、黒板に板書をし、生徒がノートをとるといった授業が一般的だったと印象に残っています。学校に入りたてで、知識が少ない低年次のうちは、知識を持っている先生からたくさんのことを教わることができるので、知識の吸収に役立つスタイルだとは思うのですが、このスタイルですと、どうしても知識の伝達が一方通行になり、質問があれば手を挙げて確認するものの、基本的には生徒が受け身になってしまいます。

 

ですので、どうしても詰込み型の学習環境が作られていき、自分自身で考える機会というのが少なかったと記憶しています。そこで、ある程度学習が進み、自分の思っていること考えていることができる年次になってきたら、それらをアウトプットしていく機会をもつことが個人的には必要かと思います。例えば、簡単なテーマを与え、ディスカッション形式でみんなで話し合う等、自分の持っている経験や知識を生かし、それらを外に出すことで、過去のインプットが改めて自分の中に定着していくと考えられます。

「Educate」は教え導く

Educateの語源は、ラテン語のEducatusで、Eは「外」へという意味を持った接頭語で、Ducereは「導く、能力を引き出す」といった意味があるそうです。

 

すなわち、個々人の持っている能力や可能性は、人それぞれであり、勉強が得意な子、スポーツができる子、絵や音楽の才能がある子、人を楽しませるのが得意な子と、「個性」が必ず違ってきまので、Educateは、そんな個人の能力を引き出してあげるということに力点が置かれています。受ける意味合いとしても、日本の教育が上から下へというニュアンスに対し、Educateのニュアンスは、教える方が一緒に同じ目線でという印象を受けます。

 

習い事やクラブ活動の場所では、どちらかというとこのスタイルが多かったと個人的には思います。習い事やクラブ活動では、コーチや先生が少人数の形式で子供の面倒を見てくださるので、学校の授業では気づかなかった自分自身の能力や可能性に気づき、そこで好きになったことや得意になったことを継続することが多かったりします。

まとめ

個人的には、教育は学校をメインに行い、Educateは親、課外活動等学校の授業以外の場所を中心に行っていくことで、子供の持っている可能性や能力を引き出し、自分に合ったやりたいこと、好きなことが見つけられていくのではないかと思います。自分の家庭でも、子供たちも自分が好きなこと、得意なことが見つけられるようにEducateしてあげられればと思いました。

【子育て日記】
ここ何日か暑い日が続き、梅雨明け間近。寝苦しいのか子供たちの朝起きる時間が早くなっています。寝不足にならないか少し心配です。