時代と人間の能力と技術
おはようございます。
川越・ふじみ野・三芳・富士見エリアで活動する公認会計士・税理士の榎本です。
日経新聞を読まれている方はご存知と思いますが、日経新聞朝刊の文化面(一番後ろの紙面)では、紙面の真ん中あたりに描き下ろしの小説が掲載されており、自分も時折面白うそうな内容のときは読んでいます。
ふりさけ見ればを見て考えさせられたこと
現在は、歴史小説などを書かれている安部龍太郎さんが「ふりさけ見れば」というタイトルで、遣唐使の「阿倍仲麻呂」を主人公として書かれています。タイトルや作者に興味があったので読み始めたところ、内容や展開がテンポよく、時代背景が古代中国ですが言葉遣いも現代風で読みやすいこともあり、目下のところ継続して読んでいます。
自分自身、中国古代の時代小説は今までに読んだことがなく、勉強の意味も込めて読んでいますが、時折深く考えさせられるシーンがあります。
例えば、遣唐使を日本から中国に船で送ったというシーンや仲麻呂の伯父が船の船頭となり、中国まで安全に使節団を連れてきたというシーンがでてきますが、当時は今ほどの航海技術や造船技術もないなかで、どっちが中国でどれだけ進めばつくのかをどのように記録したり、観測していたのか不思議でなりません。
現代のように鉄鋼技術もなかった時代、木造の船で航海を進めたのでしょうが、外海は波も高いでしょうし、荒天の日もあり、常に陸で暮らしている自分には、到底理解できないような苦労があったのだろうと思いを馳せてしまいます。
恐らくは、現代の人間が機械やテクノロジーに頼っている部分を、人間本来が持っている五感で可能な限りカバーして、波、風、方角、天候の変化などを読んでいたのではないかと思いますが、何でも機械に頼ってしまう現代人からしたら、この時代の方たちの優れた能力には頭が下がります。
話は違いますが、数年前に放送されていた大河ドラマ「せごどん」の中でも西郷隆盛が粗末な船で奄美大島や徳之島に流刑にされるシーンが有りましたが、あのときもどうやって島まで無事にたどり着けたのだろうと思いを馳せてしまいました。
ただ、どちらの話を見ても感じるのは、その当時あるものや技術の中で人間は工夫して、行動をとっているのではないかということです。
つまり、造船技術や航海技術が未発達の時代は、人間の五感等でその点をフォローし、技術が発達してきたら、今まで感に頼っていた部分が技術で補われるようになっていくのは自然の流れなのかと思います。
税理士業務と時代
翻って税理士業務についてみましても、同様のことが言えるのではないかと思います。
現代のように処理能力も早く、インターネットにもかんたんに繋がる便利なパソコンがない時代は、伝票起票、総勘定元帳への記入、仕訳転記、決算書の作成、申告書作成等、どの作業もペーパーベースでなされ、各工程を分業で行ったり、個人の感に頼って進めているところも多かったと思います。
パソコン中心で仕事をしている今の自分からは、先程の航海の話同様に中々想像が難しいですが、当時の人にとっては、そのときにある技術を使い、不足分は人の感やコツといった点で作業を進めていたのではないかと思います。
一方、今ではIT技術の発展に伴い、クラウド会計、スキャナー読み込み、E-taxなどの電子申告、口座のデータ連携といった様々なIT技術に支えられかつてのような人海戦術での業務対応も減ってきており、事務所の運営方法も一昔前のものよりも小規模で運営可能となるなど(最小では一人)、時代の変化が感じられます。
まとめ
歴史小説は、単に歴史上の出来事を知るだけではなく、当時の人の生活感や当時の人の能力、技術などの点で発見もあるので、今後も歴史小説は時間を見つけて読んでいければと思います。さしあたり、「ふりさけ見れば」がどのように展開していくのかが楽しみです。
【子育て日記】
お彼岸の中日に実家で集まった際に、妹は姪っ子2人(いずれも女の子)と鬼ごっこで遊んでいましたが、長男は男の子だからか自分の弟とサッカー。昔は、お互い仲良く遊んでいましたが、男女7歳にして席を同じうせずと言う言葉にもあるように成長するにつれ遊びも男女別々になるのを感じました。