勉強(学ぶ)ことの姿勢と伝え方
おはようございます。
川越・ふじみ野・三芳・富士見エリアで活動する公認会計士・税理士の榎本です。
普段の生活でもよくある話ですが、何事も言い方一つで言われる側の捉え方や感じ方は変わるなと思うことがあります。苦しいことでも「あとどれくらい残っている」という後ろ向きなニュアンスの言葉ではなく「もう少しで終わるぞ」という前向きな言葉ニュアンスの言葉で伝えれば、相手には自然と良い印象で伝わります。
子供と勉強(学ぶこと)
この点については、子供に勉強をするように言うときに注意する必要があると思います。
小さいうちは、どうしても自分の好きなことにとかく時間を使ってしまいがちで、「勉強する」といったことは、どうしても自らするというよりは、人から与えられてすることのほうが多いため、自主的にするようになるには一苦労が必要です。
例えば、子供に宿題や学校の勉強をすることの意味や必要性を聞かれたとき等に、学校の宿題や普段の勉強についてただ、「将来高校や大学に行くため」、「将来の自分のため」といった漠然とした形で子供に伝えても、子供もイメージを持ちにくく、気持ちも前向きになりにくいと思います。
あるいは、子供にとって「なぜ必要なのか」といった疑問が解決する形で伝えてあげないと、子ども自身、何かそれが強制的なもののように感じ、結果として主体的に行動できないのでないかと思います。
この点については、勉強が人から強制されるものではなく、自ら進んでやるものであるということを理解してもらって初めて解決に向かうと個人的には思います。
学習・勉強は知ることの楽しさから
本来、学習というものは、自ら進んで知らないことを知ろうとしたり、興味のあることについて調べたりといった行動の延長にあるものなので、それが誰かに強制されてしまうようでは、本人のやる気も今ひとつ上がっていかないのではないかと個人的には思います。
自分自身小学校や中学校の頃を振り返ってみると、教科書などの学習も何か興味本位や知りたいということを中心に進め、その他のところは、授業なのでやや作業的にすませ、全体としてメリハリを付けていたように記憶しています。
自分自身、勉強が好きか嫌いかというより気になることを調べて見たいといった性格・癖が強かったこともあり、それが結果的に勉強につながっていったのではないかと思っています。
当時は、今のようにインターネットなども普及してなかったので、疑問を持ったことをその場でスマホ片手に知りることもできませんでした。大抵は、コツコツ辞書や辞典に頼っていたため、時間もかかり、解決するまではモヤモヤした気持ちでいる時間もあったので、調べたいときにタイムリーに調べられる現代の子たちは少し羨ましく感じます。
子育てと勉強
子育てをしている中で子供は知らないことについて知ろうという強い気持ちを持っていると感じますが、年を重ねる毎に親(大人)から本人が興味が薄いことについて習い事や勉強をかせられることで、本来持っていた姿勢が失われてしまっているのではないかと思うことがあります。
これは、親がどうしても自分の子にいろいろな体験や知識を与えたいと思ってしまい、横から口を挟んだり、過大な情報を与えたりしてしまうことが一因かと思います。
親(大人)は、あくまできっかけや気付きの機会を提供する程度に留め、子供の自主性が失われないように導いてあげることが、結果として本人の学びの気持ちが維持され、いろいろなことに挑戦する気持ちにつながるので、大切なのではないかと思います。
このことを子供の宿題や勉強を見るときに意識するようにし、本人のやる気やモチベーションが下がらないように注意していますが、どうしても、アドバイスや口を挟みたいときは、本人のペースを崩さないようにほんのちょっとという気持ちで、行っています。
また、日によって子供の気分が乗らず、ダメなときは息抜きになるゲームや外遊び等に付き合い、気持ちをリフレッシュさせ、やる気スイッチが再度入るようにしてます。
大人の場合は、自分の趣味や好きなことを子供ほど制約なくできるので、ストレス発散も自分のさじ加減でなんとかできますが、子供はそのあたりがうまくできないところもあるので、親が注意して見てあげることが必要と日々感じています。
まとめ
学びは、学生が終わればもうしなくてもいいものではなく、社会人になったあとも本来はその姿勢を持つことが大事だと、独立後特に感じています。
学びは、本人の姿勢や気持ちがあれば、いつまでという終わりのあるものではないので、常に何かに興味を持ち調べる姿勢というものを失わないように、これからも学校や公文の勉強を見る際に気をつけて見てあげられるにしていければと思っています。
【子育て日記】
長男は、自分が少し進んでいる勉強をしていることについて、意識した発言を時折します。
親としては、そうした自覚が生まれることは嬉しいですが、日本社会の中ではそうした発言は角が立ちやすいということをやんわりと伝えるようにはしています。本人はまだそのあたりがわかっているかどうかわかりませんが。
妹もちょっと前までは、辻褄の合わない話し方をしていましたが、最近はちゃんと前後を意識した話し方をするようになり成長を感じる日々。