いよいよ2023年の大河も大詰め~大河ドラマを通しての学び~

おはようございます。

 

ふじみ野・川越・三芳・富士見エリアで活動する公認会計士・税理士の榎本です。

いよいよ大詰めの大河ドラマ

2023年も残すところあと1か月となり、NHKでの大河ドラマ「どうする家康」もいよいよ大詰めを迎えています。

 

今回の物語は、桶狭間の戦で主君の今川義元や人質として長く暮らした駿府を失ったところから始まり、武田信玄との長篠の戦い、本能寺の変の後、信長の臣下で頭角を現した豊臣秀吉との小牧長久手の戦い、そして秀吉亡き後の関ヶ原での石田三成との調略合戦など約半世紀にもわたる家康の幼少期から還暦を迎えるまでのいくつもの戦を描いてきました。

 

脚本家の方が、各回で時間をうまく配分し、ここまで進めてこられたので、見ているほうとしては間延びしたり飽きずに見続けられました。

 

それもあと一か月で終焉を迎えるので少し残念な気持ちになります。

大河ドラマは、歴史を学ぶ機会としてはとっつきやすい

一方で、戦国時代は沢山の武将が登場し、どうしても中学高校の歴史の授業だけでは、自分の記憶に定着させることができず、時間がたつと、歴史上の人物の出身、出来事、出生の順番などがあいまいなままとなってしまいましたが、自分の知っている俳優が彼ら彼女らを演じることで自分自身の記憶にも歴史の流れや歴史上の出来事がしっかり叩き込まれるので、大河ドラマのすばらしさを改めて感じています。

 

また、自分自身の人生で初めて見た大河ドラマは、妻の影響で見始めた2016年の「真田丸」だったので、今回のドラマと時代背景がかなり重なるところもあり、当時の復習や役者の変わった登場人物を比較しながら見ることができているので、これもまた妙味だなと感じます。

大河ドラマを通じて見る「独立した税理士」と「所属税理士」

大河ドラマは、先ほど書いたように歴史の勉強になるのと同時に、歴史上の偉大な人物たちの考え方や判断は、現代にも生きているなと感じる点でも見る価値があると思います。

 

印象に残っていることの一つに、先日の放送で見た豊臣五奉行と五大老の会議の中でのやり取りがあります。
石田三成と前田利家が徳川家康の振る舞いに対して議論している中で、石田三成は筋を曲げずに自分の道理を通そうと主張したため、前田利家は、すかさず「道理では政治ができぬ」と石田三成を窘めたことが印象的でした。

 

石田三成と前田利家では、20歳以上の年齢の差もあり、人生経験も違うので仕方ないことですが、このやり取りで感じたのは、石田三成は豊臣の一介の家臣であるのに対して、前田利家は、加賀百万石の領袖として積んできたトップとしての経験があるため、今回のような発言につながっていると感じました。

 

主君の下で働く一介の家臣は、最終的には主君の判断を尊重し、その判断を仰ぐことになるのに対し、大名として国を治める人となれば自分の判断である程度物事を決めていく必要があり、時には清濁併せのむことも必要ですので、先ほどの前田利家のように大局的な発言もできるのではないかと思います。

 

翻って、税理士事務所での所属税理士と開業税理士の関係を石田三成と前田利家のやり取りに重ねるとなるほどなぁと思うところがあります。

 

税理士は、士業として税務の専門家である一方で、どこかの税理士事務所に所属する限りは、所属税理士としてその事務所のトップの判断を仰ぐことが最終的には必要となるので、感覚としては石田三成のようにトップを最後まで尊重する必要があり、独立した一大名の前田利家のような感覚は持てないのではないかと思いました。

まとめ

今回の件で感じたのは、大河ドラマをただ歴史の勉強として見るだけではなく、自分の身の回りで起きている出来事と歴史上の出来事を重ね合わせることで、また違った見方ができ、ドラマの楽しみ方や奥深さも変わってくると思いました。

【子育て日記】
長女がとうとう自転車に乗れるようになりました。ここ1カ月近所の公園で何度か練習し、先日、川越にある運動公園(長男が初めて乗れるようになった公園)で走る距離を伸ばして練習したところとうとう親の補助なしで長い距離がしっかり走れるようになり、家族みんなで大喜び。

 

長女自身は、少し臆病なところもあり、親が横で支える補助がなくなるのをかなり不安がっていたので、補助輪を外しての練習を始めた当初は、一人で乗れるようになるまでは、長くかかるかと思っていました。

 

しかし、先日の練習では、バランスを体全体でとる感覚をうまくつかみ、練習期間は、もしかすると長男よりも短かったかもしれません。

 

振り返ってみますと、長男の場合は、練習開始が年中の冬だったので、長女よりも一編ほど年次が早いタイミングだったことあって、足の力やバランス感覚などが不十分だったこともあるかもしれません。

 

なんにせよ、子供たちが何か一つできるようになり自信をつけていくのを見るのは親としては感慨深いです。